正直に言います。 あのまま一人だったら、僕は100%無理でした。
英語も、授業も、会話も分からない。
完全に人生詰んでました。
でも、なぜか生き残れた。
理由はシンプル。
「とにかく人に助けられたから」です。
大学生活の最初の数学期は、本当にキツかった。
想像以上とかじゃなく、普通に地獄。
理由は、僕が英語から「完全に逃げていた」から。
- 授業では、必殺の「分かったフリ」
- 会話では、「Yeah」と「Maybe」の二刀流
話せないから話さない。 だから成長しない。 この泥沼ループに完全にハマっていました。
その状況をぶち壊してくれたのが、周りの人たちだったんです。
当時の僕は、授業で困るたびに、とにかく周りに聞きまくっていました。
隣の人、後ろの人、目が合った人。
とにかく、 「分からないです!」と言い続けた。
今思うと、英語も話せないのに我ながらすごい心臓です。 でも不思議なことに、誰も嫌な顔をしませんでした。
「ここはこういう意味だよ」
「大丈夫?」
砂漠で差し出された聖水くらい、ありがたかった。
あるとき、ふと思ったんです。
「なんでみんな、こんなに優しいんだろう」って。
答えはシンプルでした。
僕が「できない」ということを、1ミリも隠さなかったから。
変にカッコつけるのをやめた。 だからこそ、相手も自然に手を差し伸べてくれた。
そしてこの精神が、最高の宝物(親友)を引き寄せます。
「助けてください」でできた親友
そいつは男前で、面白くて、最高に優しいナイスガイ。 (なぜ僕なんかと仲良くなったのかは、未だに謎です)
きっかけは、スペイン語の授業でした。
大学に編入するために、外国語が必修だったんです。
当時の僕のステータスがこちら。
- 英語:分からない
- スペイン語:もっと分からない
もはや前世でどんな大罪を犯したんだってレベルの二重苦です。
授業開始、数分。 先生はずっとスペイン語、たまに英語。 (もちろん、その英語すら聞き取れない)
「あ、終わったわ」
ここで、僕の全細胞が危険を察知。 最強スキルを発動します。 隣に座っていた男に、決死の覚悟で声をかけました。
「Sorry… I don’t understand.」
そいつ、一瞬こっちを見て、こう言いました。
「分からないのって……スペイン語? それとも英語?」
いや、鋭すぎる。 僕は正直に答えました。
「……both.(両方)」
そいつはフッと笑って、映画の主人公みたいなトーンでこう言ったんです。
「Don’t worry. I got you.(心配すんな、僕がついてる)」
え、かっこよすぎない……?
彼は自分のノートをスッと寄せて、ゆっくり説明してくれました。
途中で僕の手が止まると、「Too fast?(早すぎる?)」と気遣ってくれる。
ひたすら「Yeah… yeah…」と(半分分かってないのに)頷く僕。
でも、さっきよりは確実に前を向けている“気がした”。
心の中の全米がスタンディングオベーション。
「……あなた、神ですか?」
それが、今の親友との出会いでした。
授業のあと、そいつが言いました。
アレックス:「You good?(大丈夫そう?)」
僕:「Not really…(全然ダメ……)」
アレックス:「Haha, yeah I figured.(ハハ、だと思ったよ)」
彼は軽く笑って、こう続けました。
「We can study together if you want.(よかったら、一緒に勉強する?)」
展開、早くない!? でも、僕は食い気味に即答。
「Yes. Please.(ぜひお願いします!)」
このときの僕にプライドなんてありません。生きるのに必死。
ただ、その直後に大問題が発生します。 そいつの名前を、完全に聞き落としていた。
パニック状態だったため、脳の記憶がゼロ。 意を決して、もう一度聞きました。
僕:「Sorry… one more time?(ごめん、もう一回名前教えて?)」 そいつ:「It’s Alex.」
……内心、もの凄くドキドキしていました。 (本当にアレックスか? 発音合ってる?)と。
でも、もう戻れない。 その日から、彼は僕にとって世界一頼れる「Alex」になりました。
友情の始まりが雑すぎる
その週末、僕はさっそく彼の家に行くことになりました。 「助けてください」から、わずか数日。
「じゃあ、家来る?」という、アメリカ人の距離感のバグり方は最高です。
緊張しながら行ったんですが、驚くほど普通でした。
一緒にテレビを見て、 ちょっと勉強して、 適当な英語で話して、笑った。
英語は相変わらず完璧には分からない。 だけど、胸の奥に「なんか楽しいな」という温かい感覚が確かにあった。 気づいたら、普通に仲良くなっていました。
友情の始まりなんて、これくらい雑でいいんです。
ちなみに、このスペイン語の先生、なぜか僕のことをめちゃくちゃ弄ってきました。 (愛嬌と、圧倒的なできなさ、を気に入られていたんだと思います……たぶん)
授業中、とにかくよく当てられる。
先生:「カイ!」
先生:「カイ!」
ネイティブの発音で名前を連呼される恐怖。 当然、答えられない。
ここで、あの裏技が発動します。 「わかったフリ + 満面の笑顔」
適当に答えて、見事にハズす。 クラスがちょっと笑う。僕も笑う。 すべては雰囲気です。
ある日、どうしても外せない用事で授業を休んだとき。 次の日、アレックスに爆笑しながら言われました。
「おいカイ、今日お前いないのに、先生『カイ! カイ!』って何度も呼んでたぞ」
……なんで? いないのに存在感を放ち、幻扱いされる男。それが僕です。
家族ぐるみの奇跡へ
この授業をきっかけに、僕はアレックスの家に頻繁に呼ばれるようになりました。
最初は勉強。 そのうち、普通にゲーム。 そして気づけば、クリスマスやサンクスギビング(感謝祭)といった、アメリカ人の超ガチ家族イベントにまで招待されるようになっていました。
最初に行ったときは、ガタガタ震えるほどビビっていました。 英語もできないし、場違いだったらどうしよう、と。
でも、彼の家族は最高の笑顔で迎えてくれた。
「Hey!」とハグをして、 信じられない量のご馳走を出して、 当たり前のように輪に入れてくれた。
飛び交うネイティブ英語の半分も理解できていなかったけれど、それでも、僕は確かにその温かい空間の一部として、そこにいさせてもらった。
誰かの家で、みんなでテーブルを囲んで、ご飯を食べて、笑っている。 あの孤独で絶望していた僕からしたら、普通に「奇跡」でした。
気づいたら、親友
授業で助けてもらって、 週末に会って、 たまに飯に行って。
気づいたら、僕たちは普通に「親友」になっていました。
ドラマチックなきっかけがあったわけじゃない。 ただ、何回も会って、何回もポンコツさを助けてもらって、何回も一緒に笑っていた。 それだけ。
でもたぶん、そういう日常の積み重ねこそが、一番本物の友情なんだと思います。
始まりは、たった一言。
「Sorry… I don’t understand.」
あの不格好な一言のおかげで、僕の世界は信じられないくらい広がった。 人と人との心の距離も、すっと近くなった。
正直に言います。 あのとき、変にプライドを守ってカッコつけていたら、僕は今もあの狭い部屋で一人きりだったはずです。
だからこそ、今なら確信を持って言えます。
「助けてください」って、実は人生で一番強くて、誰も傷つけない無敵の言葉なんだと。
あのとき手を差し伸べてくれたすべての人たちが(そして幻の僕を呼び続けたスペイン語の先生が)いなかったら、今の僕は100%ここにいません。
本当に、不格好な一歩一歩。 でも、その歩みの先には、いつも誰かの優しい笑顔がありました。
今でも、アレックスとは普通に連絡を取り合っています。 たまにメッセージを送りながら、ふと思うんです。
「あのときの僕、よくあの英語力で声かけたな」って。
……いやまあ、ただ単に追い詰められて、背水の陣だっただけなんだけど。 でも、あの必死でダサくて、だけど足掻いていたときの自分が、人生の中で一番ちゃんと「生きていた」気がします。



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